クシモトがトルコ人に愛される理由はエルトゥールル号遭難事件からだった!トルコの教科書にも載っている串本はどんなところ?場所や行き方は?
1/13 (土) 18:56 ~ 20:54 ニッポン視察団スペシャル 日本人が知らない!?NIPPONのニュースが放送されます。クシモトとは一体何のことでしょうか?
番組概要
「日本人が知らない!?NIPPONのニュース」この番組は外国ではかなり有名なのに、ほとんどの日本人が知らない日本のお店や偉人を伝えていく新感覚の情報バラエティー番組詳細
「日本人が知らない!?NIPPONのニュース」この番組は外国ではかなり有名なのに、ほとんどの日本人が知らない日本のお店や、商品、偉人の功績などを伝えていく新感覚の情報バラエティー!◎タイ人が殺到する場所「ユートクイナリ」とは? ◎一攫千金?今中国人が日本で爆買いする「多肉」とは? ◎ナイジェリア人のソウルフード「GEISHA」って何? ◎台湾人が敬愛する日本人「バーディエン・ユーウィ」の感動の秘話◎トルコの教科書に掲載「クシモト」トルコ人が愛する理由とは? 皆さんは外国人にはとても有名なこの言葉、日本の何を意味するものか分かりますか?日本に住んでいるのに知らなかった最新情報が続々登場!お楽しみ!!
爆笑問題 ウエンツ瑛士 キムラ緑子 伊集院光 川田裕美
エルトゥールル号遭難事件とは
エルトゥールル号遭難事件(えるとぅーるごうそうなんじけん)とは、1890年9月16日夜半、オスマン帝国の軍艦エルトゥールルが、現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件。
・エルトゥールル号遭難事件 日本とトルコの絆 (学習まんが歴史で感動!) [ 加来耕三 ]
・日本はこうして世界から信頼される国となった わが子へ伝えたい11の歴史 (小学館文庫 プレジデントセレクト) [ 佐藤 芳直 ]
・明治の男子は、星の数ほど夢を見た。 オスマン帝国皇帝のアートディレクター 山田寅次郎 [ 和多利 月子 ]
・【お取り寄せします 約3-5日間】エルトゥールルの奇跡 作曲:鹿口誠 【金管8重奏-アンサンブル譜】SB105
どうしてトルコの教科書にクシモトが?
大日本帝国へ航海
1887年、小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応え、オスマン帝国は海軍の航海訓練もかねて大日本帝国へ航海することになりました。1889年7月14日イスタンブールを出港した木造船フリゲート・エルトゥールルは25年も経っており老朽化が進んでいる状態でした。
横浜港に到着
様々な困難に遭いながら11か月間をかけて1890年6月7日に無事に日本の横浜港に到着します。エルトゥールルの司令官オスマン・パシャを特使とし、親善訪日使節団として明治天皇に歓迎されました。
台風の季節9月
帰路につくのは1890年9月15日。遅れたのは出航から何とかしのいできた船の消耗によるメンテナンスや多くの乗員がコレラに見舞われ体力回復のためでした。そして、資金不足による物資不足も深刻でした。そして、出航する決断をしたのが台風の季節、9月・・・日本側は止めましたが、オスマン帝国は帰港する意志を曲げませんでした。
エルトゥールル号座礁
色んな無理がたたり、エルトゥールルは台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁してしまいます。水蒸気爆発を起こし沈没、司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が無惨にも海へ投げ出されてしまいます。
救助と生存者の介抱
樫野埼灯台下に流れ着いた約10名の生存者は断崖を這い登って灯台にたどりつき、灯台守は応急手当を行いましたが、言葉が通じず、国際信号旗を使用して遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦である事を知ります。
通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱し、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら提供、救護に努めました。69名が救出され生還されます。その一方で残る587名は、死亡または行方不明となる大惨事となってしまいました。
その後、沖村長は大日本帝国政府に通報、明治天皇は政府に対し、可能な限りの援助を行うよう指示します。各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、義捐金・弔慰金も寄せられたそうです。
無事に帰還
日本海軍のコルベット艦、「比叡」と「金剛」が、遭難事故の20日後の10月5日に、東京の品川湾から出航、神戸港で生存乗員を分乗させ、翌年の1891年1月2日にオスマン帝国の首都・イスタンブールに送り届けました。
こういった経緯からトルコは日本にとても感謝をしていて、日本人の真心を忘れていません。教科書にも載っているのはこのためで、今日に至るトルコと日本の友好関係の始まりとなりました。
トルコ記念館
トルコ記念館
とるこきねんかん
日本 串本町の博物館
トルコ記念館は、和歌山県串本町の紀伊大島にある町立の博物館。1890年9月16日に紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国のフリゲート艦エルトゥールル号の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示している。 ウィキペディア
所在地: 〒649-3631 和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-26
建設: 1929年
電話: 0735-65-0628★公式ホームページ⇒http://www.kankou-kushimoto.jp/miryoku/torukokinenkan.html
★Instagram⇒
一方、トルコも日本を助けています。
日本人216名を救ったトルコ航空機
1985年3月17日イラン・イラク戦争が続く中、イラクのサダム・フセインが「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」と世界に向け発信しました。イランの在留日本人は急いでテヘラン空港へ向かいますがどの飛行機も満席。
世界各国は自国民を救出するため救援機を出しましたが日本は決断が遅れたため、取り残された日本人はパニックになります。そこに、まるで救世主のごとく2機のトルコ航空の飛行機が到着したのです。日本人を救うために・・・タイムリミットの数時間前でした。そして絶対絶命だった日本人216名全員を乗せて無事トルコへ飛び立ったのです。この事実は、日本政府もマスコミも知らなかったと言われています。
後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は、エルトゥールル号の事を小学校の教科書で習い今もトルコの人たちは忘れていない、そして、その恩に感謝し、テヘランで困っている日本人を助けたいとトルコ航空機を向かわせる決断が出来たのだと語りました。
●トルコ世界一の親日国 危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空 [ 森永堯 ]
この感動の事実が日本であまり知られていないのは、日本政府の対応の遅れがあったことを追求されたくないという政府の意図があるのでしょうか・・・
そんなお互いを助け合っている友好関係のトルコと日本。現在、和歌山県串本町とトルコのヤカケント町、メルスィン市は姉妹都市です。樫野崎灯台そばには、エルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建てられていて、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭が5年ごとに行われています。
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