今日は七夕の日ですね。
織姫と彦星が一年に一度出逢える日です。小さいころは、短冊に願いを書いて、笹につるして、何だかワクワクするイベントだった記憶があるのですが、そもそも七夕の由来は何か、どうして一年に一度だったのか・・・何一つ覚えていません。
そこで、おさらいです。
七夕について
七夕の名前の由来は?
諸説ありますが、七夕はそもそも、奈良時代に中国から伝来し、色々アレンジされて日本独自の慣習的イベントとなったようです。日本最古の古事記にも「多那婆多(たなばた)」という言葉が明記されていて、これは「着物などを織る女性」という意味です。
そして、7月7日に乞巧奠(きこうでん)という機織りの女性たちの上達を願う祭りが行われていて、使用する機織り機を棚機(たなばた)と呼んでいたところから、だんだんと七夕に変わっていったと言われています。
もう一つの由来は、お盆と関係しているという説です。七夕は明治以降まで旧暦の7月7日に行われていました。この風習が未だ残っている地域もあり、精霊棚と布で作られた仏教道具である幡(はた)を用意しご先祖様の霊をお迎えする日とされているそうです。
棚に幡を用意する日から、かつては「棚幡(たなばた)」と呼ばれ、それが毎年7日の夕方に行われるものですから、いつしか「七夕」に変わったという説もあります。なるほど・・・こちらの説の方が何となく納得できそうな。。。
笹に短冊の意味は?
笹はグングン空に向かって伸びて成長し、風が吹くとサラサラと葉っぱが鳴って、それが天にいるご先祖様に聞こえるということから神聖な植物とされています。
笹に願いをつるすことで、天にいるご先祖様へ届き叶えてくださいます様に・・・ということで笹が使われる様になったと言われています。
江戸時代に庶民に広まって今でも続く慣習となりましたが、本来、機織りが上手くなる様に願った祭りからきたものですので、習い事や技術の上達を短冊に書いて願っていました。例えば、平安貴族は和歌を詠むのに字が上手くなります様に・・・と願っていたそうです!
織姫と彦星のお話を1分でまとめると・・・
むかし、むかし、夜空の天の川に神様が住んでいました。
神様には美しい娘がいました。名前は織姫、彼女は着物を織る仕事をしていました。とても働きもので彼女が織る着物はどれも素晴らしく、才能のある女性でした。
織姫が年頃になると、神様は一生懸命働いている美しい娘に相応しい婿を探します。
見つけてきたのは、彦星でした。
彼は、天の川岸で牛飼いをしていました。彼もとても働き者です。神様が見つけてきた男です、間違いないはずです。。。
そんな2人は出逢ってすぐに恋に落ちました。とても幸せな日々が続きます。
しかし・・・
2人は幸せ過ぎて毎日が楽しくて、仕事をしなくなってしまします。。。着物はボロボロになり、牛は病気になり、天の住民から次々と寄せられる苦情と不満。
注意をしても全く耳を貸さない2人に困った神様は、ついに激怒し、2人を引き離すことにしました。
天の川を隔て、東と西で離ればなれとなってしまった、織姫と彦星。
悲しみにくれ毎日泣き続ける織姫・・・そんな娘を不憫に思い、年に一度だけ、一生懸命働いていれば逢わせてあげようと許しを得たのが、7月7日の七夕です。
2人は、年に一度の再会を待ちわびて、その日を支えに一生懸命働きます。
が、ようやく2人が逢うことを許された7月7日、無情にも雨が降り、水かさが増して天の川を渡ることができません。
一年もの間、待ちわびて、恋い焦がれて逢えないなんて・・・絶望の中、どこからともなく、かささぎの鳥が現れます。
そして、天の川に橋をかけてくれたのです。
こうして、今でも、織姫と彦星は毎年その橋を渡って、一年に一度だけ再会して愛を確かめあっているそうです。
おわり
物語の教訓として・・・
●一生懸命働けば報われる
●怠け者には福はなし
ということで、一生懸命頑張って勉強したら好きな人と遊べるよ!とか、怠けていたら、いいことないよ!と子供に伝えてあげると、物語をプラスで語れるのではないでしょうか。
にしても、今まで2人とも一生懸命働いてきたのに、たった一度の過ちで年に一回しか逢えなくなってしまうのは、少し残酷な気もしますが・・・